夏。眩く太陽が照りつけるこの季節を、花白は初めて体験した。
何をしているわけでもないのに、体力が削り取られていく気がして、花白はぐでーと、机に突っ伏した。
「そんな格好で疲れないか?」
暫く机とお見合いをしていたら、外で畑仕事をしていたはずの玄冬が戻ってきた。
麦藁帽子を脱いで、タオルで顔を拭くその姿を、じー、と見つめる。
動きやすいような格好。まぁ、悪くは無いけど…。
「なーんか変」
「は?」
「玄冬が玄冬じゃない」
「はぁ?」
ますます訳が分からない、と言った感じに玄冬が眉を潜めた。
玄冬がそうなるのも仕方が無いことだろう。言ってる花白ですら、意味不明だと感じたのだから。
シャツに、薄手のズボン。肩にはタオル。
確かに、農作業をするのにはいいだろうが…。
毎日外で畑仕事をしている玄冬はいつの間にか、日に焼けていた。
似合わないわけではないけれど…。
「やっぱり変!!」
「花白…。暑さでやられたのか?」
「違う違う」
失礼な物言いだ、と花白が頬を膨らませた。
こうしているだけでも汗が出る。
幸い、この家は風通しはよいので、涼しい風も吹き抜けてはいくのだが…。
「…疲れてるなら寝るか?」
「こんなに暑いのに、寝られるわけ無いでしょ」
「…あぁ。そうか…」
ふと、納得がいったというような顔をした玄冬が、花白の前に腰掛けた。
首だけを持ち上げて、花白が玄冬を見る。
あーあ、真っ黒に焼けてる、なんて事を花白が思ってるとは露知らず…。
「川にでも行くか?」
「なんで?」
「川遊びに、だうろ」
「何、それ」
花白がそういうと、沈黙が訪れた。
玄冬は困ったように天井を見上げる。
「…知らない、のか?」
「知らない。だって僕、ずーっと王宮にいたってこと、忘れてない?」
子供のころに白梟に引き取られていらい、子供らしい遊び一つしたことが無い。まして…。
「それに、僕が物心ついたころには、もう川なんて凍ってたんだけど?」
冬があけたのはつい最近。
花白にとって、ちゃんとした夏は、今年が始めてなのだ。
玄冬が生まれれば、世界は徐々に冬に閉ざされる。それはゆっくりと、年月をかけて。
そしていつの間にか、雪が止まなくなっていた。
タイムリミットはもうすぐ、というところで逃げ出したのは花白。
そして、今――。
「そう、か」
「そうだよ」
「…それなら、行くか」
「は?」
「川遊びに、だ」
玄冬は花白とは全く違っていた。
黒鷹の育て方のおかげだろう。なんだかんだといって、子供のころは川で遊んだりもした。
まぁ、一緒に行った黒鷹が何かと面倒を起こしたりもするのだが…。それは玄冬にとってはいい思い出の一つだ。
「何するの…」
「そうだな…。泳ぐとか、釣りとか…」
「泳ぐ…? 僕、できないんだけど」
「いい、教える」
「…じゃ、行く」
「あぁ」
そう言って立ち上がった花白が、自分の部屋にかけて行く。
その後ろ姿を見ながら、まったく、素直じゃない、と玄冬は思いながら、その背を見送る。
泳ぎも、釣りも、花白が知らないというのなら、教えてやればいいのだ。…まぁ、花白の性格的に、釣りは無理だろうが…。
太陽は中天を僅かに過ぎ、どうせなら外で昼食を取ればいいな、と玄冬は思い、簡単にサンドイッチを作った。
「お待たせ、玄冬」
「あぁ、行くか」
「うん」
左手にバケットを持つと、空いている手に花白が指を絡めてきた。
見下ろせば、花白が嬉しそうに笑っていた。
今はまだ、見下ろさなければならない位置にある花白の視線は、いつかは並ぶときが来るのだろうか。
夏の日差しの下で、花白が笑う。
見られるはずがないと、そう信じていた光景。
花白もまた、そんな日常を嬉しく思っているのだ。
いつまでも、いつまでも続く。
こんな日常が、2人にとってはとてつもなく喜ばしく、そして愛しい物なのだから。
絡めた指に、自然と力がこもる。
この手をもう、二度と放さない、と誓いを込めるかのように。